「王都陥落 [第14章] 〜絶望の先へ〜」



「王都陥落 [第14章] 〜絶望の先へ〜」
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メルシア王国最強の戦士と謳われたマトイは、かつての栄光を嘲笑うかのように、バルダン帝国の軍旗の下に立っていた。王都襲撃の折、ロン公爵の裏切りが引き起こした惨劇は、今も彼女の胸に灼熱の棘のように突き刺さっている。あの因縁の巨人――身の丈三メートルを超える異形の戦士――に穢された記憶は、夜ごと悪夢となって蘇る。だが、彼女はもう泣かない。涙はとうに枯れ、残ったのは鋼のような決意だけだった。
地下コロシアムでの決闘は、メルシア・ラミッド連合の完敗で終わりを告げた。あの血と汗と絶望に塗れた闘技場で、彼女たちは最後の抵抗を試みたが、バルダンの軍勢は圧倒的だった。観客の歓声は勝利の雄叫びとなり、敗者の誇りは粉々に砕かれた。マトイは鎖で繋がれ、コロシアムの闇から引きずり出された時、初めて「生き延びる」という選択を強いられた。
大陸中央に君臨するバルダン国は、もはや一介の王国ではなかった。メルシア王国の陥落を機に、バルダン帝国と名を改め、貪欲な牙をさらに尖らせた。皇帝の野望は果てしなく、北方の豊かな国々――雪に覆われた山岳地帯と、氷結の湖に囲まれた交易都市群――を次なる標的とした。広大な荒野に展開する軍勢は、黒雲のように地平線を埋め尽くす。鉄の蹄の音が大地を震わせ、戦塵が空を覆った。
その前線に、マトイを含む三人の元隊長の姿があった。彼女たちはバルダン帝国の「栄光の象徴」として、強制的に最前線に配置された。マトイの隣には、かつてメルシア王国の騎士団を率いたエリナが、鎧の隙間から覗く傷跡を隠すように剣を握りしめている。もう一人は、弓の名手として知られたセレナ。彼女の瞳には、コロシアムでの屈辱が焼き付いたままの炎が揺らめいていた。三人とも、十八歳を遥かに超える歳月を戦場で過ごしてきた猛者だ。だが、今は敵の軍装に身を包み、味方だった者たちを射抜く矢じりに、自分の過去を重ねていた。
コロシアムでの敗北後、メルシア王国の王族たちもまた、運命の歯車に巻き込まれた。マダート王は、バルダン皇帝の面前で膝を折り、臣従の誓いを立てた。そして、かつての王妃と王女――マトイたちが命を懸けて守ろうとした高貴な血筋――は、ゾル公爵の妻として新たな檻に閉じ込められた。華やかな王宮は遠い記憶となり、今はバルダンの宮廷で、帝国の繁栄を象徴する「戦利品」として扱われている。
それでも、戦場の最前線では、まだ希望の灯を消さない者たちがいた。元メルシア王国の隊長たち――マトイ、エリナ、セレナ、そして散り散りになった残存部隊――は、バルダン帝国の軍勢に組み込まれながらも、心の奥底で反逆の火を灯し続けていた。表向きは忠誠を装い、戦術会議では的確な助言を与える。だが、それはすべて、敵の隙を窺うための演技に過ぎなかった。
荒野の風は冷たく、雪混じりの雨が鎧を濡らす。マトイは馬上で、遠くに見える北方の山脈を睨みつけた。あの向こうには、まだバルダンの手に落ちていない自由の地がある。彼女の脳裏に、コロシアムでの最後の瞬間が蘇る。巨人に組み伏せられ、誇りを踏みにじられたあの時、彼女は死を望んだ。だが、生き延びた。生き延びて、復讐の時を待つために。
「マトイ隊長」
背後から声をかけられ、彼女は振り返った。エリナだった。同じく元メルシアの騎士は、ヘルメットの陰から鋭い視線を向ける。
「次の作戦会議で、皇帝の側近が油断している。チャンスだ」
囁くような声に、マトイは小さく頷いた。セレナもまた、弓を携えたまま近づいてくる。三人の視線が交錯する瞬間、かつての仲間としての絆が、鎖の下で再び息を吹き返した。
敗北した者たち――メルシアの誇り高き戦士たち、王族の血を引く者たち、そして名もなき兵士たち。彼女たちの思惑は、果たして同じ場所に向かっているのか。それとも、絶望の淵でそれぞれが異なる道を選ぶのか。荒野の果て、雪山の麓で、運命の歯車が再び動き始める。
バルダン帝国の進軍は止まらない。だが、その軍勢の内部に、静かに広がる亀裂があった。マトイは剣の柄に手をやり、冷たい金属の感触を確かめる。コロシアムでの屈辱は、彼女を壊さなかった。むしろ、鋼をより硬く鍛え上げたのだ。
北方の空に、最初の雪が舞い始めた。それは、帝国の栄光を祝福するかのように見えた。だが、マトイには違う。雪は、すべてを覆い隠し、新たな始まりを告げる白い帳だった。彼女は馬を進めながら、胸の奥で誓う。
「必ず、取り戻す」
王都を。王国を。そして、失われた誇りを。
三人の元隊長は、バルダン帝国の軍旗の下を進みながら、静かに反逆の刻を計っていた。絶望の先へ――その先に、何が待っているのかは、まだ誰も知らない。だが、彼女たちの瞳には、確かに光が宿っていた。雪は降り積もり、荒野を白く染めていく。その白い世界で、復讐の物語は、新たな章を刻み始めるのだった。

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