『100日後に妊娠するOLさん!』



『100日後に妊娠するOLさん!』
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佐藤美咲、32歳。
独身、都内の広告代理店で働く普通の会社員だ。
朝はいつも6時半に目覚ましで飛び起きて、慌ててシャワーを浴びて化粧して、駅まで小走り。電車の中ではスマホでニュースを流し見ながら、今日のプレゼン資料を頭の中で復習する。帰りはだいたい21時過ぎ。コンビニのお弁当か、たまに同期と居酒屋に寄ってビール一杯だけ飲んで、終電近くにフラフラと帰宅。風呂上がりにNetflixを30分見て、気づいたら布団の中で寝落ち。そんな毎日。
「美咲ちゃんももう32だっけ? そろそろヤバくない?」
先月の飲み会で、先輩ママにそう言われたのがずっと耳に残ってる。
別に焦ってない、って口では言ったけど、心の中ではちょっとチクッとした。
友達の結婚ラッシュはとっくに終わって、今は出産ラッシュ。LINEのグループは赤ちゃんの写真で溢れてる。いいねを押しながら、なんだか自分が置いてけぼりにされてる気がして、画面をそっと閉じた。
男の人とは、もう2年くらいご無沙汰だ。
最後の彼氏は同僚で、付き合って半年で「価値観の違い」というありきたりな理由で別れた。あれ以来、合コンにも誘われなくなったし、自分からも行かなくなった。仕事が忙しいし、休日は寝てばっかりだし、そもそも出会いがない。
でもね、正直、子どもは欲しいんだ。
実家に帰ると母が遠回しに「孫の顔が……」って言うし、姉はすでに二人目妊娠中。自分だけが取り残されてる感じがして、時々夜中に目が覚めて、天井を見つめてしまう。
そんなある金曜の夜、いつものように残業でヘトヘトになって、終電を逃した。
タクシー代惜しくて、仕方なく24時間営業のカフェに入った。ノートPC開いて、土曜の朝イチのプレゼン資料を仕上げなきゃいけないのに、頭がぼーっとして全然進まない。
隣の席に、誰かが座った気配がした。
見ると、知らない男の人。スーツじゃない、ちょっとラフなジャケットにジーンズ。年齢はたぶん35歳くらい? 疲れた顔してるけど、目元が優しそうで、妙に落ち着く雰囲気だった。
「あの、コンセント貸してもらえませんか? 充電切れちゃって……」
そう言われて、はじめて気づいた。自分のテーブルにしか空きのコンセントがなかったみたい。
「どうぞどうぞ」
コードを差し替えてあげると、「ありがとう、助かった」と笑われた。
その笑顔が、なんだかすごく自然で、久しぶりにドキッとした。
それが、佐藤美咲の100日前の夜だった。
名前は高橋悠斗。IT系のフリーランスで、普段はほとんど在宅らしい。
その日はクライアントのところに打ち合わせに行ってた帰りで、終電逃したらしい。
「俺も美咲さんと同じで、終電逃しの常習犯ですよ」って笑いながら、勝手に隣に座ってコーヒー飲み始めた。
話してみると、妙に波長が合う。
仕事の愚痴とか、最近ハマってるドラマとか、好きなラーメン屋の話とか。
気づいたら3時間くらい喋ってた。外はもう明け方近く。
「また会えますか?」
帰り際、彼がちょっと照れくさそうに聞いてきた。
私、迷わずに「うん」と答えてた。自分でもびっくりするくらい素直に。
それから、毎週のように会うようになった。
平日はLINEで「お疲れさま」のやり取り。週末は一緒にご飯食べたり、映画見に行ったり。
付き合ってるって感じじゃないけど、でも、すごく心地いい。
キスとか、そういうのはまだ全然ない。でも、隣にいてくれるだけで、なんだか安心する。
ある日、いつものように彼の家で一緒にご飯作ってた時。
私が玉ねぎ切ってて、涙出てきたら、彼が後ろからそっとハグしてくれた。
「泣かないでよ」って耳元で囁かれて、ドキドキしすぎて包丁持ったまま固まった。
その夜、初めて泊まった。
何もしてない。ただ、ぎゅっと抱きしめられて寝ただけ。
でも、朝起きた時、すごく幸せだった。
もう32歳なのに、初めての恋みたいに胸が苦しくなる。
それから少しずつ、距離が近くなった。
手を繋ぐようになった。キスするようになった。
そして、ある雨の夜、自然な流れで……。
あれは、ちょうど出会ってから77日目のことだった。
その日は生理が遅れてたけど、忙しくて気にしないでいた。
でも、なんだか体がだるくて、朝から気持ち悪い。
念のため買った検査薬を、震える手で使ってみたら……。
二本の線。
最初は信じられなくて、三回やり直した。
でも、結果は変わらない。
私は、100日後に妊娠するOLだったんだ。
今、鏡の前で少しふくらみ始めたお腹を撫でてる。
まだ誰にも言ってない。悠斗にも、まだ。
でもね、怖いけど、すごく嬉しい。
32歳で、婚期逃したと思ってた私が、こんなに幸せなことになるなんて。
100日前の私へ。
ねえ、大丈夫だよ。
ちゃんと、幸せになれるから。
今頃、悠斗からLINEが来た。
「今夜も一緒にご飯食べようね」って。
返事しながら、涙が出そうになる。
うん、食べよう。
三人で、食べようね。

