「色恋桜【フルカラー版】」
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色恋桜【フルカラー版】
「こーんな眼鏡でバレないと思った?」
春の終わり、桜の花びらが校庭の隅で最後の舞を踊っていた。俺は職員室の片隅で、いつものように書類を整理しながら、窓の外をぼんやり眺めていた。もうすぐ新学期だ。新しい顔ぶれ、新しい空気。それなのに、なぜか胸の奥がざわざわする。
「先生、お疲れ様です」
振り返ると、そこに立っていたのは、卒業して一年になる彩花だった。長い黒髪をポニーテールにまとめて、薄手のニットにデニムのスカート。すっかり大人びた姿に、一瞬言葉を失う。
「彩花……どうしたんだ、こんな時間に」
「ちょっと用事があって。ねえ、先生」
彼女はにこりと笑って、俺のデスクに近づいてきた。手にしていたのは、透明な袋に入った紺色のブレザー。見覚えのある刺繍。間違いない、あの学校の制服だ。
「これ、預かっててくれませんか?」
「は? ちょっと待て。これは……」
「私の、卒業した時のやつです。クリーニングに出してあったのを、やっと取り戻せたんですけど」
彩花は悪戯っぽく目を細めた。
「先生、覚えてます? 卒業式の後、『制服姿の彩花がもう見られないのが寂しい』って言ってたこと」
確かに言った。冗談のつもりだった。でも、彼女は本気で覚えていたらしい。
「だから、プレゼント。先生にあげる」
「いやいや、待て待て。教え子の制服をもらうなんて、俺が変な目で見られるだろ」
「いいじゃないですか。私、もう学生じゃないし。先生だって、ずっと我慢してたんでしょ?」
彼女は俺の椅子の背もたれに手を置いて、耳元でささやいた。
「こーんな眼鏡でバレないと思った?」
……やられた。
実は俺、視力が悪いわけじゃない。伊達眼鏡だ。昔の教え子たちに「若い先生っぽくしたい」なんてからかわれて、ついかけてしまったやつ。でも、彩花は気づいていた。いつからだ? あの頃から?
「先生、私のこと……ちゃんと見てましたよね」
彩花は制服の袋を俺の膝に置いて、そのまま俺の首に腕を回した。甘い香りがふわりと漂う。桜の香りじゃなくて、彼女のシャンプーの匂いだ。
「卒業してから、ずっと会いたかった。でも、先生が真面目すぎて、連絡もくれないし」
「それは……お前が大事だったからだよ」
「ふふ、今さら素直」
彼女の唇が、俺の耳たぶをそっと噛んだ。ぞくりと背筋が震える。
「ねえ、先生。今夜、空いてます?」
「彩花……」
「制服、着てみてあげてもいいですよ。私が」
冗談じゃない。本気だ。この子はいつも、こうやって俺を振り回す。
「でも、条件があります」
「条件?」
「うん。私、先生に……ちゃんと気持ち、伝えたくて」
彩花は少し頬を赤くして、目を伏せた。
「卒業式の時、言えなかったこと。先生のこと、ずっと好きだったって」
……ああ、そうか。
俺が我慢してたのは、立場とか年齢とか、そんなものじゃなかった。この子が、ちゃんと大人になるまで待ってたかったんだ。
「彩花」
俺は眼鏡を外して、彼女の頬に手を添えた。少し震えてる。俺も同じだ。
「俺もだよ。ずっと、お前が好きだった」
桜の花びらが窓の外で、最後の一枚、地面に落ちた。
それから俺たちは、誰もいない教室で、制服のボタンを一つ一つ外していった。彩花は恥ずかしそうに目を逸らしながらも、ちゃんと俺を見つめて、微笑んだ。
「先生、優しい……」
「当たり前だろ。お前は、俺の大事な……」
言葉より先に、唇が重なった。
制服のスカートが床に落ちる音がした時、俺は確信した。
これは、もう「教え子」じゃない。
彩花は、俺の恋人だ。
翌朝、職員室で眼鏡をかけ直しながら、俺は小さく笑った。
やっぱり、伊達眼鏡なんて、もう必要ないな。
だって、バレてもいい。全部。
俺の隣に、ちゃんと彩花がいるんだから。
(フルカラー漫画34p 単行本「ないしょごと」収録作「色恋桜」の加筆フルカラー版です)

