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「ダレも私を助けてはくれない」

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ダレも私を助けてはくれない

私の名前はイオリ。二十五歳。

母がいつも言ってた言葉がある。「優しくあれば、優しさは返ってくるよ」。小さな頃、母は私の髪を梳きながらそう囁いた。母の声は柔らかくて、春の風みたいだった。だから私、その言葉を胸に抱いて生きてきた。誰かが困ってたら手を差し伸べる。笑顔を向ける。損得なんて考えない。ただ、母の言葉が正しいって信じたかった。

でもね、現実は違った。

最初に気づいたのは、二十歳のとき。大学のサークルで先輩に頼まれた。レポートを手伝ってほしいって。夜遅くまで資料をまとめたり、図書館で一緒に調べたり。私、眠い目をこすりながら頑張った。先輩は「イオリは本当に優しいね」って笑ってくれた。それが嬉しくて、もっと頑張った。完成したレポートを渡した翌週、先輩は私の名前をどこにも書いてなかった。単位は先輩だけが取った。私には「ごめん、忘れてた」って一言。謝られたって、時間は戻らない。優しさは、ただ踏みにじられただけだった。

それでも私は信じた。母の言葉を。

二十二歳、初めての職場。後輩が入ってきて、仕事がわからないって泣きそうだったから、私が残業して教えてあげた。資料の作り方、電話の取り方、上司への報告のコツ。全部。後輩は「イオリさんみたいになりたい」って言ってくれた。だから私、嬉しくて、自分の仕事が押しても優先した。そしたら後輩、急に態度が変わった。私が作った資料を自分の手柄にして、上司にアピール。ミスは全部私のせいにされた。結局、私が注意された。「イオリ、もっとしっかりしてよ」。後輩は昇進した。私は残業代も出ないまま、毎日遅くまで残った。

優しさは、利用されるだけだった。

二十四歳、付き合ってた人。彼は優しそうだった。仕事で疲れてるって言えば、肩を揉んでくれた。夜、泣きそうになったときは抱きしめてくれた。だから私、全部話した。母が亡くなったこと。昔の傷のこと。信じてた言葉のこと。彼は「俺が守るよ」って言った。だから信じた。貯金を崩して、彼の借金を肩代わりした。五十万。母の形見の指輪も売った。彼は「ありがとう、イオリ」って泣きながらキスしてきた。それが最後だった。翌朝、彼は消えてた。部屋にはメモ一枚。「ごめん、もう無理」。電話は繋がらない。共通の友達に聞いても、誰も知らないって。五十万と、母の指輪と、私の時間と、全部持ってかれた。

優しさは、見放されるだけだった。

それから、私は誰にも優しくしなくなった。いや、できなくなった。笑顔を作るのも疲れた。職場では必要最低限の会話しかしない。友達とも距離を置いた。一人暮らしの部屋で、夜になると母の言葉が頭の中で響く。「優しくあれば……」。笑っちゃうよね。母さん、どこが優しさ返ってきたの? 私、誰にも優しくされてないよ。

でもね、寂しかった。心のどこかで、まだ信じたかった。誰かが、私を見てくれるんじゃないかって。

そんなとき、職場の取引先の人に声をかけられた。四十歳くらいの、穏やかそうな人。「イオリさん、いつも丁寧に対応してくれてありがとう」。そう言われたとき、久しぶりに胸が熱くなった。彼は優しかった。飲み会に誘われて、断れなかった。断るのが怖かった。また一人になるのが怖かった。

その夜、ホテルの部屋に連れ込まれた。抵抗したけど、彼は笑ってた。「いいじゃん、ちょっとだけ」。私、声が出なかった。母の言葉が頭の中でぐるぐる回る。優しくすれば、優しさは……。でも彼は優しくなんてなかった。ただ自分の欲を満たしただけ。終わったあと、「また連絡するよ」って言って、朝にはいなくなった。スマホには着信拒否。会社にも来なくなった。聞けば、妻がいる人だったって。

それから、私の日常は崩れていった。仕事も手につかなくて、ミスばかり。誰とも目を合わせられなくなった。夜は眠れなくて、薬を飲むようになった。母の写真を見るたび、泣いた。母さん、ごめん。私、信じられなくなっちゃった。

二十五歳の今、私はもう誰にも優しくできない。助けてって言えない。誰かが手を差し伸べてくれても、信じられない。だって、優しさなんて、返ってこないから。踏みにじられるだけ。利用されるだけ。見放されるだけ。

鏡を見るたび、思う。私の優しさは、どこに行っちゃったんだろう。母さん、私、どうしたらいい? 誰も、私を助けてくれないよ。

もう、誰も信じない。

でも、心のどこかで、まだ誰かが来てくれるんじゃないかって、馬鹿みたいに思ってる。

それが、一番辛いんだ。